反射的に言い返すとケンカが起きるメカニズムを知ってさえいれば

日本人でいない人はいないんじゃないかってくらい、幼少期に大人から、「学校や家庭で、ケンカはしちゃだめ!」と言われませんでしたか?
「社会に出てから困るよ」とも。
大人になって社会に出た今、恐らくこの八百長に気付いていると思います。
- 「社会で大人同士のケンカが絶えない」という事実
- 感情的になって自分の意見を押しつける人々
なんでケンカって起きるのだと思いますか?
恐らく、したくてしてる人は少ないと思います。
これは人間の深層心理につながっているのでしょう。
関西人なら誰もが分かるとは思いますが、「551」の相性でおなじみの「551の蓬莱」では、長年テレビCMで使われてきたフレーズがあります。一昔前に流行りました。
「551のあるとき」「ないとき」と同様に、「冷静でいられる時」「いられない時」というリズムでご一読ください。
冷静でいられる時
冷静に意思決定をする時人は、無意識にじっくりと論理的もしくは合理的に物事を考えています。
「私は感覚派なので、論理とかそーいう難しいのは無理だ」と思っている人でさえ、無意識に自分なりに物事を組み立てて考えています。その上で意思決定をしています。
例えば年末のバーゲンセールへ1人で買い物に行った時。
値引き前の価格、つまり定価が2万円である商品があったとします。あなたが前々から欲しくて欲しくてしょうがなかった商品です。
その2万円と書いた値札にマジックでバツをつけて、その下に値引き価格として12000円と書いてあります。とうとう年末まで売れ残ったので、年末のバーゲンセールで8000円ひいた値引き価格で販売されていたのです。
この段階で購入してしまう人もいるでしょうが、最近ではすぐにスマホでネット上のショッピングサイトを調べることができるので、冷静に価格を調べます。
すると、ネット上のショッピングサイトでは値引きはありませんが販売価格が税込み12000円と書いてあります。消費税分こちらの方が安く、もちろん送料無料。しかも、即日配送。
だとしたらあなたは冷静に、「大きくて重たい商品を持って帰るのは大変だから、やっぱりネットで購入しよう」と考え、店頭では改めて手に取って見て購買意欲を固め、実際の購入はネットで行うという決断に至るかと思います。
冷静でいられない時
しかしここで、深層心理に触れるようなきっかけがあるとどうでしょうか。
途端にあなたは論理的もしくは合理的でいられなくなります。そして冷静な判断ができなくなります。
値札には「ネットでもどこでも売っていません。日本国内では当店のみが取り扱っている商品です。ラスト一個」と書いてあります。ゆっくりじっくりネットで調べている暇もありません。 もしかすると隣から手が伸びてきてその商品を先に購入されるかもしれません。
こう言った深層心理をついてくる状況の時あなたは、冷静でいられなくなることが分かるかと思います。そして、反射的に動きます。商品に手を伸ばし、レジへ向かうでしょう。
もしかするとネットではさらに安い価格で売っていたかもしれませんが、その事実確認をせぬまま行動していると思います。
なぜこういった衝動的な行動をしてしまったかというと、これは、危険を感じたからです。
ここで言う危険とは「先を越される」という状況です。
原始時代であれば、「狙っていた獲物を他の人に取られる」というような状況でしょうか。
さらに噛み砕いて言うと、「頭で考えるより体が先に動いた」という反射的な行動です。
反射的な言動
「頭で考えるより体が先に動いた」という反射的な行動を例に挙げましたが、もう一つ反射的な行動があります。
それは「発言をする」という行動です。つまり、「反射的な言動」です。
例えばデスクの上からiPhoneが落ちる瞬間、何も考えずにとっさに手を伸ばして受け止めると思います。なぜならiPhoneが落ちて壊れないように防ぐわけですよね。これは頭で考えてから動いたのではなく、反射的に動いた結果のファインプレーでした。
今も昔も、本来危険から身を守るための反射的な動きが人には備わっているとも言えます。
この優秀な反射的な言動が、現代社会での大人同士のケンカのきっかけとなってしまっているとはいざ知らず。
ケンカ勃発

例えば職場にて。
あなたは十数年勤めた会社ではもうすっかり「上の立場」と呼ばれる存在になりました。入職歴の浅い多くの職員があなたに相談にきては、あなたの意見に従うという構図が出来ています。
もしかすると知らず知らずプライドも高くなってしまったかもしれません。
ある日、あなたが自信を持って行なっていたプロジェクトに非常に優秀な若手から指摘が入ります。「ちょっとそのやり方じゃあ、よくないんじゃないですか?」
その若手は決してあなたを非難したいのでもなく、単にお客さんにとってより良い方法を提案したまでです。そして冷静に改善点と改善した後に期待できる効果などを説明するのですが、一旦カチンと来たあなたは冷静に聞くことができません。
いわゆる、プライドが傷ついたのです。
そして、反射的な言動に出ます。ここでいう反射的とは相手の話をじっくり聞いて理解しようという論理的で合理的な動きではなく、1秒でも早く思いつくままの順番で反撃する言葉を発することです。
「きみは若いから、何も分からんだろう」 「私のやり方ときみのやり方は違うんだよ」「うるさいなぁ、黙っててくれ」
若手「いえ、私は単により良くなることを願って、提案しているのですが…」「頭の固い人だなぁ、めんどくさ」
ケンカとは建設的な話合いが出来ないこと
先ほどの方は、「経験が浅い人になんか、言われたくない」「私には私のやり方があって、それをやるから何も言わないでくれ」と強情になりました。
本来は皆、あなたの仕事や作品が良くなるためにわざわざ時間と労力を裂いて、意見を言ってくださっているのです。
「冷静に意見が聞けない人」と「聞ける人」
人の心理としてどちらと、建設的な話合いがしたいでしょうか?
さらにこういった状態がひどくなるとパワハラだの協調性の欠如だの、どんどんと大きな問題に発展していく可能性もあります。もう、立派なケンカ状態です。
どちらかが解雇されれば、これはいわゆる喧嘩別れですよね。
ケンカとは、反射的な言動を通してお互いに感じている不快な感情をぶつけ合うこと。
解決のための建設的な話し合いとはかけ離れており、子供同士が行う喧嘩と全く同じ状況です。幼少期の時に「してはいけない」と習いましたが、社会に出た大人が未だに続けているのは周知の事実です。
「反射的に言い返す=攻撃」をやめられない人達
ところで 「冷静に意見を聞き入れられない人」は、なぜ反射的に言い返したのでしょうか?
「反射的に言い返す=攻撃」です。人は深層心理を付かれた時、つまり危険を察知した時に自らを守る反射的な行動に出ます。
つまり、何かから身を守るための攻撃だったのですね。だからケンカをふっかけた訳です。
原始時代であれば、飢餓から自身を守るために「獲物を取られる前に取る」、現代ではショッピングの例にもあげたように、「買われる前に買う」、なんら変わりがないと思います。
また、ご自身の痴話喧嘩をよく思い出してみてください。恋人や家族、同僚に何かを言われてムカついた時、嫌味を言い返していると思います。
何か言われてカチンと来て言い返す時に、「大好き!」とか、「楽しい!」とは絶対言いいませんよね。攻撃的な発言をします。
この場合、生命の危険も、飢餓のリスクもありません。じゃあ一体何から身を守っているのでしょうか?
何を守るための攻撃?
人間が備え持つ危険から身を守る反射機能はこれまで、物質的に乏しかった時代、生命の危険や飢餓から身を守るのに非常に有効でした。
しかし平和ボケするほど安全で物質的に豊かな生活の中、この動物としての機能の発動が場違いになっている気がします。
反射的に言い返し相手を攻撃するシステムはきっと、現代版では、自身のプライドや自尊心を守っているのだと思います。
現代人が人生を保つうえで、最も大切なものが自尊心といっても過言ではないのでしょう。だから、原始時代当時の生命の危険が脅かされる感覚と同じ危機感を感じるのではないでしょうか。
現代版の身を守る反射機能の使い方
しかし、ここで冷静になって考えてみて下さい。
少なくともあなたの周囲にいる人々は、あなたの生命や自尊心を奪おうとしているのではありません。ただあなたがより良くなるために、「提案」して下さっているのです。しかも無料で・・・
アドバイスを実際に採用しようがしまいがあなたの判断です。
こんなありがたい話はないわけで、普段、多くの人が求めているものですよね?
それなのに、せっかく頂いた貴重な意見を突っぱねるだけでなく、相手が嫌がるように攻撃してしまうのは、筋が通りません。
これは頭で冷静に考えると筋が通らないと誰もが分かるのですが、元々自尊心が低めの方やプライドが高い人、簡単に傷つけられる危険をいつも感じているからこそ、反射的な言動が生まれるのでしょう。
常に、怯えて恐怖で動いているからこそ、常に自身を守っていないと怖いのです。
現代風にカスタマイズする必要がある

何時代であっても私達に備わる、動物的な原始的機能を現代風にカスタマイズする必要があると思います。
もし他人に何かを言われてカチンときたのであればそこで1秒立ち止まって本当に言い返して攻撃する必要があるかどうかを考えてみてください。
さらに、中にはぐっと1秒考えてみたまでは良かったが、結果さらに陰険に攻撃する場合も稀にあります。
まずは、反射的にも数秒置いてからでも、絶対に攻撃をしない、と決めきってしまうことです。
もし、冷静に落ち着けずに攻撃してしまうくらいなら、「今日は討論できません」とか「Emailで改めてその件を話し合いましょう」といったんその場から去るのもありです。
怖い事言いますが、最近では隠れて録音されている事もありますしね。
さて、冷静になれたなら、もう勝利は見えています。後は、良くある手法で大丈夫かと。
指摘される側の気持ちを考え、断定的な表現を使うより、「提案」や「感想」として話すとけっこう聞き入れてもらえます。
「そのやりかた良くないんじゃないですか?」ではなくて、「こういう風にしたら、より一層良い作品になるのではないかと私は思います」など。
反論する側も、「私は○○だと思ったのでこうしました」という俗にいう「Iメッセージ」を使うとか、様々な対処法がありますので、あなたの必勝法を見つけてください。
それが生きる得意技になっていきます。
どうしようも無い時はいったん去って、質問に答えていく
本当にケンカになりそうで危ない時は、いったんその場から去るのもありだと言いました。そして、その怒りの気持ちのまま勢いに任せてEmailを作るのではなく、一度あなたが落ち着く、あなただけの必勝落ち着き法を探しましょう。
例えばこのような質問に答えていきます。
質問
「現代において身の危険が脅かされることがそんなに頻繁に起こり得ますか?」
「あなたの目の前にいてアドバイスをしてくださる方は本当にあなたの身を脅かそうとしていますか?」
「あなたの周りにいる家族や友達、同僚はあなたから大切なものを奪おうとしていますか?」
「相手は何か武器を持っていますか?」
「今すぐ何かを言い返さないと、あなたは本当に身の危険が及ぶでしょうか?」
「あなたは今冷静な状態ですか?」
「家族や友達、同僚を失っても本当によろしいんですね?」
「良好な人間関係以上に大切なものが、もしあるのであれば教えて下さい」
上記の8つの質問に答えていけばさすがに落ち着くでしょうね。
終わりに
家の外では超がつくくらい良い人を演じていたり、か細くてしおらしい方が家庭内では暴君だったり。これはこれで、演じることで身を守っている弱い方々です。
誰かに何かを指摘され、それを「危機」として感知したかもしれません。あなたの小さな小さなプライドや自尊心が傷つけられる可能性を察知したのでしょうが、それは現代では危機ではありません。
言い返す必要もケンカを勃発させる必要もありません。必要なのはほどよい自己愛に、冷静で建設的な会話を行う思考です。
そして意見のやり取りに使う原動力には、愛情・友情を選びましょう。
寒い冬に暖かい心と思いやりを。