「みんなと仲良くしなさい」という負の連鎖から、「ありのままでいること」への勘違い

「みんなと仲良くしなさい」という負の連鎖から、「ありのままでいること」への勘違い

小さな島国である日本国内ではこれまで、人間関係を良好にする要素の一部である協調性/同調性に重きを置いてきた美しい文化があります。その中で「みんなと仲良くしなさい」というセリフはまるで伝統のように言い伝えられ、文化を繋いできました。しかしこれが近年、悪用されているように感じるのです。

もし思い当たる節があれば、ご自分の周囲を1度じっくと見渡してみるきっかけになれば幸いです。

知らず知らずに「強制・脅し」というヤクザをしてしまっている

  • 「お友達と、仲良くしなさい」 (学校/社会にて)
  • 「子/親、先生に、感謝しなさい」(家庭内/部活内)
  • 「医療従事者/接客業では、相手の要望に答えなさい」(病院内/職場内)

学校の中、家庭内、社会に出て職場環境。社会活動の場でこのセリフはよく耳にしますよね。もちろん正論で、社会的秩序が守る上で大切な教えです。育児世代、学校教育ならびに職場内での人材育成に関わる方には毎日のことかもしれません。

しかし、このセリフが発せられる大前提がずれているケースが最近、多発して悪用されていることに気が付きました。

  • 「嫌な事をされても、お友達と、仲良くしなさい」 (学校/社会にて)
  • 「殴られていても、子/親、先生に、感謝しなさい」(家庭内/部活内)
  • 「暴言を吐かれてもどんな労働環境でも、医療従事者/接客業では、相手の要望に答えなさい」(病院内/職場内)

あらら?

これらはよく耳にするセリフによく知る大前提ですが、なにかおかしいニュアンスになっている事に気がつきませんか?

この状況を解きほぐすと、根底に「我慢しろよ・・・」と強制力が振りかざされています。さらに、このセリフを言う人たちの続きは「さもなければ・・・」です。

  • 「さもなければ、お友達がいなくなるよ」
  • 「さもなければ、家から追い出すよ/部活から追い出すよ」
  • 「さもなければ、退職してもらいます(給与あげないよ)」

人間とは弱いもので時に、心の成熟が未熟であるがゆえに自分の感情をコントロールできず他人を傷つけるようなセリフを無意識に発してしまうことがあります。無意識のうちに他人をコントロールしようとしてしまうのですよね。上記例はそれらの典型例です。

でもこんなこと言われたらすごく傷つきますよね?

「え?そんな傷つけるつもりなかったのやけど」

本編では表面的で意味の浅い言葉「みんなと仲良くしなさい」という負の連鎖に、惑わされている人があまりにも多く存在している現代に向けての応援コラムとして取り上げてみました。

人間関係は「我慢」で成り立たない

「家庭を、学校を、社会を良くしたい!お客様に最高のサービスを届けたい!」と溢れんばかりの思いを持っているにも関わらず、結果を焦ったが故に強制的でかつ脅し的な暴力的な言葉を使ってしまった例を3つ挙げました。

相手への暴言やコントロールしようとしてしまったことは、よろしくありませんよね。しかし少しだけ歩み寄ってみると、このような言動をとってしまった人たちのモチベーションに以下のような真意が隠されていることが大いにあります。

  • 「本当は、友情で満たされる社会にしたかった」
  • 「本当は、楽しさあふれる家庭や部活にしたかった」
  • 「本当は、人間愛あふれる職場環境にしたかった」

実は「より良くしたかっただけ」という温かい未来を願ったが故の言動だったんです。

「え?そうだっだの?」「じゃあ最初からそう言ってよ!」

って傷つけられた側は率直に思いますよね。

いずれにせよ、真意が伝わっておらずこれでは本末転倒になってしまいます。焦ったなど理由がどうであれ結果として他人を傷つけるような言動は、何人たる者に許されない絶対に改善すべき言動です。これは後に社会的秩序に繋がるいわゆる礼儀やマナー、人して社会で生きるための最低限のルール。むしろ、「本当は素敵な社会にしたかった」という真意を達成したたかっただけなのに、せっかくのあなたの優しい思いが逆効果になるのは、本当にもったいないことですよね。

物事の達成に安直な方法はありません。さらに人間関係とは我慢の上で成り立つものではありません。じゃあどうすれば素晴らしい人間関係を作れるのか、その手法を学ぶのが「成長」ではないでしょうか。

やってしまったら謝ろう

「強制力や脅しを未熟だからやってしまった」と反省し、今後繰り返さないように努力することが絶対大切です。 もしやってしまったのなら、謝ればいいことです。改善しようと努力している姿を見せることで信頼関係はより深まります。

子どものうちはなにが大切なのかまだ分からないからこそ、学校生活、周囲にいる全ての人間関係、部活動、サークルなどつまり、社会活動から学んでいきます。謝る事や改善しようと努力する事はスポーツができる/できない、勉強ができる/できないということより、ずっと人間として生きるための最も大切な習得すべきルールだと思うのです。

子どもだからといって誰かを攻撃する言葉を容認してはいけません。大前提としてほとんどの子ども達は、その言葉がもつ意味をわからずに使ってしまっています。

特に幼稚園児が「うんち、おしっこ」とおもしろがって言いますよね?あれはサウンズすることで大人がとる反応を見て楽しんでいるようですよ。それと同様に、相手を傷つける言葉も使ってしまいます。後に例を出しますが、「死ね」「殺す」などもそうです。だからこそ、その都度その単語が持つ意味をまわりの大人たちが教えてあげる作業が育児であり教育なんですよね。

だからこそ、もし相手を傷つけるような言動をとってしまったのなら、素直にそれを反省して謝りましょう。理由は様々あります。言葉の意味を知らなかった、傷つくとは思わなかった、未熟だった・・・。

いずれにせよ、大前提には「より良くしたかった」思いがあったことを伝えましょうね。

聞き流すと容認されたと誤って解釈される

ここでのポイントは、聞き流すと子どもたちの中でその言葉を「使ってもいい」と言う勘違いになってしまいます。「学校の先生が、親が注意してこなかったってことはOK」という解釈になってしまいます。だからこそ彼らが発する一つ一つの言葉を聴いてあげる作業が必要なんです。気の遠くなるような、とても時間のかかる作業のようにも感じますよね。

実はここでも真面目になりすぎない方が良いのです。子どもの前に正座して座り、一言一句聞く必要はなく、最低限の境界線、例えば「死ね、殺す」「(人の)身体的特徴、家庭環境を揶揄するような発言」など、それほど難しく考えなくても大人であるあなたが言われて嫌なこと、されて嫌なことを優しく正すだけで大丈夫だと思います。「そういう言葉を聞くと傷つくよ、悲しくなるよ」と、自分の素直な感想をまず伝えます。

ご近所に住む高校生にでもできることですから、「今日、夕飯食べに来ない?」と任せてもいい内容ですよね。ご近所に年頃のお子さんがいなければ親戚の誰かに目を配ってもらってもオッケーです。最近ではアプリで簡単に依頼が出来るシッターさんも居ます。要は、最低限の境界線だけ引いて教えてくれる人材を確保して、上手に活用しましょう。

何事もも1人で全部抱えて追い詰める必要は無いのです。時には、役割分業と言う手段も使い、コミュニティで支え合う方式もとれたら良いと思います。どうかひとりで悩まないでください。まわりに助けてくれる方はいますからね。

本来手本となる大人が迷っている

人は誰だって間違いをおかします。同時に、謝ることは誰にでもできることです。そのお手本を示すのが大人たちの役割でした。

しかし、①②③ともに、たいていは大人たちからよく聞くセリフですよね。大人が子どもへ伝えたり、家庭内や職場での大人同士の会話でもみられます。

つまり、お手本となるべき大人たちが、何が境界線だったかを見失い迷っているのかもしれません。間違った手法を教わった子ども達は、その手法が正しいと信じ込み、知らないうちに負の連鎖を続ける大人へと変身していくのです。

そして今や大人の社会で知らず知らずに、「強制力や脅し」を使う手法がはびこっています。ここでポイントなのは、大人の世界でも同じです。「あぁーうちの上司ってウザいな。いつも強制してくるし、出来ないと罰を与えてくるんだよね」、本人不在の飲み会で愚痴を言ったとて解決にはなりません。当の本人は意外にも傷つける気がなかったりもします。

子ども同様に、嫌な思いをする発言をされた時に、受け流す/聞き流すと大人たちの中でもその言葉を「使ってもいい」と誤って解釈されます。だからこそ、ちゃんと伝えてください。「そういう言葉を聞くと傷つくよ、悲しくなるよ」と、素直な感想をまず伝えじっくりと対等に冷静に話し合うことです。「本心はなんだったの?」

大人も子どもも聞き流すと容認したと誤って解釈されるのです。

今こそ、この負の連鎖を断ちたいと願いましょう。「負の連鎖」が続かないで欲しいと願いを込めてタイトルにも入れました。インパクトある言葉ですよね。

「ありのままでいる」の意味をはき違えている勘違い①

大前提として他人を傷つけることは何人たる者世界中で絶対に許されません。だから、嫌いな人にわざわざ「嫌いだ!」とぶつけることも反則です。しかしながら大人の世界でも「ありのままでいる」の意味をはき違えて勘違いしている方が数多くいらっしゃいます。

要は大人の世界で嫌いな人にわざわざ「嫌いだ!」とぶつける反則が多発しているのです。

こんなびっくりする例がありました。皆さんも一度自分ごとに捉えて考えてみて欲しいのです。

複雑な家庭環境で育ったとはいえ普段はおとなしく可愛らしい小学5年生の女の子。

経済的に豊かな家庭の両親が、その女の子と年が3つ上のお姉ちゃんに部下の一人から抜擢した大学生の家庭教師くんをつけました。いよいよ高校受験まであと1年ちょっと、一生懸命取り組んでいます。

この少女にとったら大好きなお姉ちゃんがまるでその家庭教師に取られたようで面白くありません。時々こうも漏らします。

「あの家庭教師のせいで私とお姉ちゃんの遊ぶ時間が減っている」

「わざと勉強時間を長くしている」

「あんな馬鹿な家庭教師なんか要らないのに、うちのお姉ちゃんは優しすぎるから親のいうことに従っているだけ」

要は、家庭教師くんとお姉ちゃんが仲良く勉強をしているのが気に入らないんです。妹である自分には見せないちょっと真剣な姿を目の当たりにしたのも初めてで、ジェラシーを感じています。

ここまではあるある話です。

他にも例はたくさんあります。育児に手がかかる時期の弟や妹に奪われた親からのアテンション(注目)を取り返すために、幼児返りをしてわざとと手間を取らせようとする子どもがいます。入社当初はこまめに面倒を見てくれていた大好きな先輩が、次の新入社員にばかり時間を割くのでちょっとムカつきます。人間の素直な感情なんてそんなもんです。 

そんな湧き上がる感情はしょうがありません。止められません。しかし、その感情を表現形として出すか/出さないのかは全くの別問題です。これが普遍的な人間関係構築での最も大切なルールだと思います。

家庭教師くんとお姉ちゃんが仲良くする姿が気に入らない少女は、とうとう負の感情を爆発させ癇癪を起こしました。ある晩、勉強を終え帰る彼と見送る姉に向かって、「おねえちゃんなんか、大嫌い嘘つき、家庭教師くんなんか死ね。2度と来るな!」と大声で泣きわめきながら彼には「死ね」を連呼しました。彼は逃げるように帰宅。

しかし、上司のお子さんへの家庭教師の仕事はそんな簡単に辞めるわけにいかず、続けていました。以降、少女は執拗に嫌がらせを繰り返すようになりました。彼が姉の勉強部屋に入るやいなや、親に泣きつき「廊下ですれ違ったら蹴られた」「向こういけ!って言われた」と嘘をつくようになりました。これも巧妙な演技で、実際廊下ですれ違い身体が当たりそうにはなったのですが彼は上手く避けました。そして「こんばんは」と優しく声をかけただけです。

訪れる度にこの嫌がらせを受けた彼はとうとう抑うつ状態となり受験勉強の手伝いも道半ばで終了。彼は親から言い伝えられてきた、「みんなと仲良くしなさい」という言葉を真に受けて育った典型的な良い人だったが故に次女の嫌がらせを拒む事が出来なかったのです。

「ありのままでいる」の意味をはき違えている勘違い②

今回、抑うつ状態にまで追い込まれた理由はもう一つありました。養育者である上司が「ありのままでいる」の意味をはき違えている勘違いさんだったのです。次女の巧妙な嘘にも嫌がらせにも気付いてはいましたが、一切注意をしませんでした。なぜなら、「ありのままのうちの子を認めてほしい!」という勘違いが働いていたのです。

この少女が、ネガティブな表現を厭わなかったのはそもそも彼女の親が注意をしない事からこの言動は容認されるのだと勘違いしていました。その少女はむしろ「泣きわめいて意地悪をすることで自分の欲しいものが手に入れられる」という成功体験を積んでしまっていたのです。実際に、一生懸命に意地悪を続ける努力を重ね「嫌な人を追い出す」ことに成功しました。

「自分の欲求をかなえた手法が人を傷つける言動」であったということは、理解出来ていなかったくらいです。「ありのままでいる」の意味をはき違えている養育者に育てられた典型的パターンだったのです。

彼女の努力の使い道はそれで良かったのでしょうか?

繰り返しますが、羨むな!と言ったとて押さえ込めないのが人間の感情です。「そういう感情ってあるよね」ここでは「ありのままの彼女を認める」という意味では良かったのです。

しかし、それを思いっきり表現して嫌いな相手に「嫌いだ!」という感情をぶつけ、「いくら嫌でも人を傷つける行為はだめ!!」とキッパリ言うべきです。「でもその嫌だという気持ちを別の方法で消化しようよ」、もっと人間関係が良くなるような方法を教えてさえあげたら、その少女も何もわざわざ突かれるようないじわるをしなくて済んだのです。

「こう言ったり、こうしたら傷つけちゃうんだね」「自分がされたら嫌だよね、もうやめようね」「でもね、なんでそもそも嫌って思うのかな?」

そもそも湧き上がる感情に対しては人はなにも出来ないのです。

今回これは公にならなかったので処罰には至らなかったのですが、例えば職場内で誰かをうつ病に追い込むまで意地悪をしたならばそれは犯罪です。近年学校教育でもいじめは犯罪であるという認識が普及しつつある昨今、しっかりと大人が正しい知識を持つのがよりより社会への第一歩ではないでしょうか。

感情を持つ人間という動物が構築する人間社会で生きたいのであればこの最低限のルールは学ばねばならないことですよね。

抑えきれない湧き上がるネガティブな感情の処理の仕方は2つ

以下の図で示したとおり一番上の列、人を傷つける行為は許容できません。しかし人間は感情を持つ生き物なのでポジティブであろうがネガティブであろうが感情を発生させないということは不可能です。それなら、ポジティブな感情ならどんどん表現して周囲に良い影響や楽しい気分を伝播して良いのですが、一方でネガティブな感情の処理方法はどうしたら良いのでしょうか?

私は大きく分けて2種類の方法を取ります。

A 解決策その1

先ほどの少女の例であれば 、時々親に漏らしている言葉がヒントでした。その時にテコ入れが出来ます。湧き上がる負の感情をその都度その都度理解し共感。ちょっとした知識やテクニックがあれば以下のような追加説明を加え、本人が消化できるように良い方向へ導けます。

妹の言い分

  • 「あの家庭教師のせいで私とお姉ちゃんの遊ぶ時間が減っている」(事実)
  • 「わざと勉強時間を長くしている」(ように思えるくらい長い!)
  • 「あんな馬鹿な家庭教師なんか要らないのに、うちのお姉ちゃんは優しすぎるから親のいうことに従っているだけ」(そもそも親への不信感)

理論的なフィードバック

①「実際に遊ぶ時間が減っているから、お姉ちゃんと遊べる時間の質を良くしよう。例えばテレビを見ながら遊んでいるとしたらテレビを消して二人の時間を大切にしよう」=人間関係は量より質

親の自分達とのコミュニケーション時間を長くとる=愛情で満たす

②「そう思うぐらい長く感じるけど、実際勉強の内容が難しくて時間がかかってしまっている」=事実説明

さらに、3人で勉強時間を持つなどの代替案の提示

③「親も人間なので完璧な選択が常にできるわけではないけど、娘にぴったりだと思って何人もの方と会った上で決めたこと。職場で一緒に働いているのでとても優しくて優秀であると分かっている。もしこの方でだめならそもそも受験なんて成功しないくらいって覚悟を決めて選んだことを伝える」 =親の決定への覚悟

どういう原因でこういう結果になったのか、人の時間には限りがあること、基本的人権の尊重があり、本人が下した決断には何人たりとも否定はできないこと。

これって実は大人同士にも当てはまることですよね?

B 解決策その2

ex》代替的に表現をする場を求める

幼少期に体が弱かったから健康を支える職業ヨガインストラクターになった

幼少期に愛情不足の家庭で育ったから、自分が持つ家庭を愛情たっぷりにしたい

家族の命を奪った病気を治せる医者になりたい

自分を見捨てた親を見返したくて有名な芸術家になった


負の感情を消化するその1の方法ではなく、解決策その2は将来的にポジティブに変換して爆発させるエネルギーとして貯めておくことです。多くの達成者たちはネガティブでもポジティブでもエネルギーをしっかり溜め込んで後に大きく爆発させます。

この少女の例では大人になった後に、お姉ちゃんと2人組でビジネスをしてもいいですしコミュニティを作ったっていいのです。大好きな人だからこそ相手の時間を思いやる気持ちを学ぶ事が最も重要で、後に何度でもお釣りが出るほどに良いことは返って来ますよ。明るい未来も一緒に描いてあげれば最高です。

おわりに

皆さんが普段何気なく発する「みんなと仲良くしなさい」や「ありのままでいる」の本当の真意を理解した上で使っているのか、 一度見直して欲しくてこのコラムを作りました。

ありのままの自分を目指すことを推奨する風潮は近年強くなっています。しかし、勘違いして欲しくないのは、ただ湧き上がった感情をそのまま表現することがありのままの自分でいることではありません。いつの時代もどこの国でもだれかを傷つけてはいけないこと、人への尊重を忘れてはいけないこと、これら社会で生きる最低限のルールを守る事が良好な人間関係の基盤になること。

つまり心の成熟を先に要するのはいつの世も先決ではないでしょうか。

このコラムを良い思ったらハートをクリック!

10+

この記事を書いたドクター

画像
福島 八枝子
明るく好奇心旺盛な整形外科専門医Dr.ヤエコフがお届けします。スポーツ医学の本場アメリカで研究したPM&R(Physical Medicine& Rehabilitation)を扱う最新医学情報をはじめ、海外や日本での生活におけるおもしろエピソード等をご紹介

資格・経歴